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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)555号 判決

原告

林ヨシノ

ほか三名

被告

日栄自動車工業有限会社

ほか三名

主文

被告日栄自動車工業有限会社及び被告水津猛志は、各自、原告林ヨシノに対し、金七八万円及びこれに対する昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告林惠子に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告林宏光に対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、また、原告林繁に対し、金四五〇万円及びこれに対する昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告矢倉日出夫及び被告矢倉真二に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告日栄自動車工業有限会社及び被告水津猛志との間に生じた分は、右被告両名の負担とし、原告らと被告矢倉日出夫及び被告矢倉真二との間に生じた分は、原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告ら訴訟代理人は、「被告らは、各自、原告林ヨシノに対し、金七八万円及びこれに対する昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告林惠子に対し、金五〇〇万円及びこれに対する右同日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告林宏光に対し、金三五〇万円及びこれに対する前同日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、また、原告林繁に対し、金四五〇万円及びこれに対する前同日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を各支払え。訴訟費用は、被告ら各自の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告日栄自動車工業有限会社(以下「被告会社」という。)及び被告水津猛志訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決並びに原告ら勝訴の場合につき仮執行免脱の宣言を求め、被告矢倉日出夫及び被告矢倉真二(以下、右被告両名を「被告矢倉両名」という。)訴訟代理人は、主文第二項同旨及び「訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因等

原告ら訴訟代理人は、請求の原因等として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

亡林博重(以下「亡博重」という。)は、昭和四四年八月一日午前零時五分頃、同人所有の普通乗用自動車(練五さ九〇一六号。以下「林車」という。)を運転し、鳥取県米子市吉岡地内新日野橋上を鳥取方面から西米子方面に向けて西進走行していたところ、折柄、対向車線を東進してきて先行車を追い越すため、突然道路のセンターラインを踰越し、林車の走行車線に進入した被告水津猛志(以下「被告水津」という。)の運転する普通貨物自動車(鳥四の四八六三号。以下「水津車」という。)に林車前部を衝突され、更に、同車に後続して走行していた被告矢倉真二(以下「被告真二」という。)の運転する普通乗用自動車(鳥に三八三七号。以下「矢倉車」という。)に林車左側面を衝突され、右事故(以下「本件事故」という。)により、林車は損壊し、また、亡博重は死亡し、同車に同乗していた原告林惠子(以下「原告惠子」という。)、原告林宏光(以下「原告宏光」という。)及び原告林繁(以下「原告繁」という。)は、いずれも傷害を受けた。

二  傷害の部位程度等

1  原告惠子は、本件事故により、全身打撲、第六、第七胸椎圧迫骨折及び右顔面皮膚剥離の傷害を受け、医療法人育成会高島病院(以下「高島病院」という。)、津和野共存病院及び東京慈恵会医科大学附属病院(以下「慈恵医大病院」という。)において、入院合計一か月半、通院八か月間に及ぶ治療を受けたが、自動車損害賠償保障法施行令(以下「自賠法施行令」という。)別表第七級第一二号に該当する右顔面皮膚剥離の後遺障害が残つた。

2  原告宏光は、本件事故により、胸部打撲及び肋膜炎の傷害を受け、その治療のため、入院一三日間、通院一日を要した。

3  原告繁は、本件事故により、全身打撲、顔面及び頸部挫傷等の傷害を受け、入院一五日間に及ぶ治療を受けたが、唇裂傷及びのどにケロイドの後遺障害が残つた。

三  責任原因

1  被告会社は、水津車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定に基づき、亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害(車両損害を除く。)を賠償すべき責任がある。

また、本件事故は、被告会社の被用者である被告水津が被告会社の事業を執行中、後記2の過失により惹起したものであるから、被告会社は、民法第七一五条第一項の規定に基づき亡博重が本件事故により被つた車両損害を賠償すべき責任がある。

2  被告水津は、水津車を運転中、対向車線に進入して先行車を追い越すに当たり、対向車の有無及びこれとの間隔等に注意し、対向車線の安全を確認すべき注意義務があるにかかわらず、酔余これを怠り、林車が至近距離に対向進行してきていたのを看過して、漫然先行車を追い越すためセンターラインを踰越した過失により本件事故を発生させたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害(車両損害を含む。)を賠償すべき責任がある。

3  被告矢倉日出夫(以下「被告日出夫」という。)は、矢倉車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法第三条の規定に基づき、亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害(車両損害を除く。)を賠償すべき責任がある。

また、本件事故は、被告日出夫の被用者である被告真二が、被告日出夫の事業を執行中、後記4の過失により発生させたものであるから、被告日出夫は、民法第七一五条第一項の規定に基づき、亡博重が本件事故により被つた車両損害を賠償すべき責任がある。

4  被告真二は、矢倉車を運転し、先行車である林車に後続して走行するに当たり、前方を十分に注視し、かつ、林車との間に十分な車間距離を保持して走行すべき注意義務があるにかかわらず、これを怠つた過失により本件事故を発生させたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、本件事故により亡博重及び原告らが被つた損害(車両損害を含む。)を賠償すべき責任がある。

四  相続関係

原告惠子は亡博重の妻、原告宏光及び原告繁はいずれも亡博重の子であり、他に同人の相続人は存しないから、右原告三名は、亡博重の本件事故による損害賠償請求権を法定相続分に従つて、各三分の一ずつ相続した。

五  損害

亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害は、次のとおりである。

1  亡博重の損害

(一) 逸失利益

亡博重は、本件事故当時、三七歳の健康な男子であり、株式会社西武百貨店に勤務して月額金一二万一、八〇八円の収入を得ていたものであるところ、本件事故に遭わなければ六三歳まで二六年間にわたり稼働してこの間毎月右月収額を下らない金額の収入を得ることができたはずであり、この間の同人の生活費は一月当り金二万一、八〇八円を上回ることはないものとみるのが相当であるから、以上を基礎とし、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して亡博重の得べかりし利益の本件事故時の現価を算定すれば、金一、九六五万四、八〇〇円となる。

しかして、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、右逸失利益の損害賠償請求権を前記のとおり法定相続分に応じ各金六五五万一、六〇〇円ずつ相続した。

(二) 慰藉料

亡博重は、一家の支柱として妻子である原告惠子、原告宏光及び原告繁を扶養していたところ、本件事故で一命を失つたことにより多大な精神的苦痛を受けたものであり、同人は、勤務先でも信用が厚く将来昇給することは確実であるが、逸失利益の算定に当たつては将来の昇給を加味していないことを考慮すれば、右苦痛に対する慰藉料は金七〇〇万円が相当であるところ、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、右慰藉料の損害賠償請求権を前記のとおり法定相続分に応じて、各金二三三万三、三三三円(円未満切捨。以下同じ。)ずつ相続した。

(三) 車両損害

亡博重は、本件事故により、自己の所有する林車を修理不能な程度に損壊されたところ、同車は、昭和四三年一二月一八日西部日産自動車販売株式会社から分割払の方法により金二一万円で購入して使用していたものであるから、右同額の損害を被つたところ、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、右車両損害の賠償請求権を法定相続分に応じ各金七万円ずつ相続した。

仮に、右の主張が認められないとしても、中古自動車の時価は購入価格の三分の一の価格とみるのが社会通念上相当であるから、林車の本件事故当時の時価は金七万円を下らず、亡博重は、同額の損害を被り、右原告三名は、右額につき各三分の一ずつ相続した。

仮に右の主張が認められないとしても、本件事故当時、林車の割賦金の一部金五万七、〇〇〇円が未払で残つていたところ、右残債務は、同車が本件事故により使用不能となつたにもかかわらず、その支払を免れることはできないのであるから、亡博重は少なくとも右同額の損害を被り、右原告三名は、右額につき各三分の一ずつ相続した。

(四) 以上によれば、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、亡博重が本件事故により被つた損害の賠償請求権を各金八九五万四、九三三円あて相続したことになる。

2  原告林ヨシノ(以下「原告ヨシノ」という。)の損害

原告ヨシノは、亡博重の母であり、(一)亡博重の葬儀を執り行い、その諸費用として金二〇万円、(二)同人の高島病院における医療費等金七、八一二円、(三)交通費金六万七、四九〇円、(四)諸雑費金六、五七六円を支出し、以上(一)ないし(四)の合計金二八万一、八七八円の損害を被つた。

また、同原告は、長男で毎月小遣をくれるなどして親孝行を尽くしていた亡博重の死亡により多大な精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は金五〇万円が相当である。

3  原告惠子の損害

原告惠子は、(一)前記入・通院による治療費として、高島病院に対し金五万六、八一〇円、津和野共存病院に対し金三万九、〇〇〇円及び慈恵医大病院に対し金一三万九、三六六円を支払い、(二)高島病院に入院中、近親者による付添看護労働を受けたところ、右付添看護労働は、入院期間を通じ金一万二、〇〇〇円と評価するのが相当であるから、以上(一)及び(二)の合計金二四万七、一七六円の損害を被つた。

また、原告惠子は、本件事故により受傷し、前記の入・通院治療を余儀なくされ、更に、前記の後遺障害が残つたため、精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は、金二七四万五、〇〇〇円が相当である。

4  原告宏光の損害

原告宏光は、前記入・通院による治療費として合計金三万二一七円を要し、同額の損害を被つた。

また、原告宏光は、本件事故により受傷し、前記の入・通院治療を余儀なくされ、精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は、金一〇万円が相当である。

5  原告繁の損害

原告繁は、前記入・通院による治療費として合計金三万八、四八九円を要し、同額の損害を被つた。

また、原告繁は、本件事故により受傷し、前記の入・通院治療を余儀なくされ、更に、前記の後遺障害が残つたため、精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は金四〇万円が相当である。

6  損害のてん補

原告惠子は、本件事故に関し、自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という。)から金四五〇万円、被告水津から金九一万八、〇〇〇円を受領し、これを前記1(四)及び3の損害金の一部に充当した。

原告宏光は、本件事故に関し、責任保険から金二〇〇万円を受領し、これを前記1(四)及び4の損害金の一部に充当した。

原告繁は、本件事故に関し、責任保険から金二二二万円を受領し、これを前記1(四)及び5の損害金の一部に充当した。

7  弁護士費用

原告らは、被告らが賠償金を前記のほか任意に支払わないので、やむなく、原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任し、着手金及び謝金として合計金一〇〇万円の支払を約したが、これを均分して各金二五万円ずつ負担することとした。

六  よつて、被告ら各自に対し、本件事故による損害賠償として、原告ヨシノは前項2及び7の損害金合計金一〇三万一、八七八円の内金七八万円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告惠子は、前項1(四)及び3の損害金から6のてん補金を控除した額に7の損害金を加えた金六七七万九、一〇九円の内金五〇〇万円及びこれに対する前同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の、原告宏光は前項1(四)及び4の損害金から6のてん補金を控除した額に7の損害金を加えた金七三三万五、一五〇円の内金三五〇万円及びこれに対する前同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の、原告繁は、前項1(四)及び5の損害金から6のてん補金を控除した額に7の損害金を加えた金七四二万三、四二二円の内金四五〇万円及びこれに対する前同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで前同率の割合による遅延損害金の各支払を求める。

七  被告会社及び被告水津の消滅時効の主張は、争う。

原告らには、次のような時効中断事由が存する。

1  原告らは、亡博重の弟林満茂を本件事故による損害賠償請求に関する代理人とし、同人を通じて、被告会社及び被告水津のそれぞれに対し、いずれも時効完成前の昭和四七年七月二九日到達の内容証明郵便をもつて本件事故による亡博重及び原告らの損害につき、支払方を催告し、右催告到達の後六か月以内の昭和四八年一月二九日右被告両名に対し本訴の提起をした。なお、被告会社に対する右内容証明郵便の到達日が昭和四七年八月一日であるとしても、原告らが本件事故の加害者が被告会社であることを知つたのは早くても昭和四四年八月三日以後であるから、右催告は時効完成前にされたものであり、その後六か月以内に本訴を提起したものであるから、時効は完成していない。

仮に、被告会社に対し右主張が認められないとしても、被告会社は、本件事故による亡博重及び原告らの損害の賠償につき連帯債務を負つているところ、被告水津に対しては前記の日に内容証明郵便による催告がされているのであるから、右請求は被告会社にも効力を及ぼし、しかして、右催告の後六か月以内に本訴の提起をしたことは前記のとおりであるから、被告会社に対しても時効が中断されている。

2  被告会社は、昭和四五年四月一四日差出及び同年六月八日差出のいずれも原告惠子あての手紙において原告らに対する損害賠償債務を承認しており、原告らは右承認の日から三年を経過する以前に被告会社に対し本訴を提起した。

3  被告水津は、昭和四六年一一月四日差出の原告惠子あての手紙において、本件事故に対する深い反省と原告らに対する一日も早い示談を望んでいる旨の意思を表示し、もつて、原告らに対する損害賠償債務を承諾しており、原告らは右承認の日から三年を経過する以前に被告水津に対し本訴を提起した。

また、被告水津は、原告惠子に対し、昭和四四年一二月二六日に金一〇万円を支払つたほか昭和四五年一月二八日から本訴提起後の昭和五〇年八月三〇日まで四六回にわたり各回金五、〇〇〇円ないし金二万円あて原告らに対する賠償債務の一部弁済をし、もつて、原告らに対する損害賠償債務を右弁済の都度承認している。

八  被告日出夫の免責の主張中、本件事故発生につき、被告水津に対向車線安全不確認の過失があつたことは認めるが、被告真二に運転上の過失がなかつたとの事実は、否認する。同被告には、本件事故発生につき、前記の過失がある。

九  被告矢倉両名の消滅時効の主張は、争う。

原告らは、代理人林満茂を通じて、被告真二に対し、消滅時効完成前の昭和四七年七月三一日到達の内容証明郵便をもつて、本件事故による亡博重及び原告らの損害につき支払方を催告し、右催告到達の後六か月以内である昭和四八年一月二九日同被告に対し本訴を提起したから、同被告に対する損害賠償請求権の消滅時効は、中断されている。

第三被告会社及び被告水津の答弁等

被告会社及び被告水津訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項の事実中林車の所有関係は知らないが、その余の事実は、認める。

二  同第二項の事実は、知らない。

三  同第三項1の事実中、被告会社が水津車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であること及び同項2の事実は、認める。

四  同第四項の事実は、知らない。

五  同第五項6の事実中、原告惠子、原告宏光及び原告繁が責任保険からその主張の金額を受領したことは認めるが、その余の事実並びに同項1ないし5及び7の事実は、争う。

六  消滅時効の主張

原告らは、本件事故当日に、本件事故による亡博重及び原告らの損害並びに被告会社及び被告水津が加害者であることを知つたものであるから、同日から三年を経過した昭和四七年八月一日をもつて、右被告両名に対する原告らの損害賠償請求権は、時効により消滅した。

第四被告矢倉両名の答弁等

被告矢倉両名訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項の事実中、林車の所有関係は知らないが、その余の事実は、認める。

二  同第二項の事実は、知らない。

三  同第三項3の事実中、被告日出夫が矢倉車を所有していたことは認める。同項4の事実は、争う。

四  同第四項の事実は知らない。

五  同第五項6の事実中、原告惠子、原告宏光及び原告繁が責任保険からその主張の金額を受領したことは認めるが、その余の事実並びに同項1ないし5及び7の事実は、知らない。

六  被告日出夫の免責の主張

被告日出夫には、次のとおり自賠法第三条ただし書に規定する免責事由があるから、亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害を賠償すべき責任はない。すなわち、被告真二は、林車との間に適切な車間距離を保持し、前方を十分注視しつつ進行していたが、その運転する矢倉車が林車に追突したのは、被告水津が、酔余対向車の存在に全く留意することなく、かつ、制限速度を大幅に超過して、先行車を追い越すため突然センターラインを越えて対向車線に進入し、同車線を矢倉車に先行して走行中の林車に正面から激突したことにより、林車が急に停止したためであつて、本件事故は、専ら被告水津の対向車線に対する安全不確認及び速度違反の過失により発生したものというべく、被告真二が、対向車のこのような違法運転による先行車との正面衝突事故の発生を予見することは到底不可能であり、したがつて、このような状況のもとでは、矢倉車が急停止した先行車(林車)との追突を回避することは不可避であるから、被告真二には本件事故発生につき何ら運転上の過失はなく、また、被告日出夫は矢倉車の運行に関し注意を怠つておらず、更に、矢倉車には本件事故と関係のある構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。

七  消滅時効の主張及び原告らの時効中断の主張に対する答弁

仮に、被告矢倉両名に損害賠償の責任があるとしても、原告らは、本件事故当日に、本件事故により亡博重が死亡したことによる損害及び被告矢倉両名が加害者であることを知つたものであるから、同日から三年を経過した昭和四七年七月三一日をもつて、被告矢倉両名に対する右損害の賠償請求権は、時効により消滅した。更に、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、昭和四四年八月末日までにその傷害も完治しているから、同日には、本件事故による各自の傷害に起因する損害を知つたものであり、したがつて、遅くとも同日から三年を経過した昭和四七年八月末日をもつて、右損害の賠償請求権も、時効により消滅した。

原告らの被告真二に対する時効中断の主張は、争う。

第五証拠関係〔略〕

理由

(事故の発生)

一  原告ら主張の日時及び場所において、亡博重が運転し、原告惠子、原告宏光及び原告繁が同乗して、鳥取方面から西米子方面に向けて西進走行していた林車と、対向車線を東進してきて、先行車を追い越すため突然道路のセンターラインを踰越し、林車の進行車線に進入した被告水津の運転する水津車とが衝突し、更に、林車に後続して走行してきた被告真二の運転する矢倉車が、林車左側面に衝突した事故により、亡博重が死亡し、原告惠子、原告宏光及び原告繁が傷害を受け、林車が損壊したことは、本件当事者間に争いがない。

(被告水津の責任)

二 被告水津が、水津車を運転中、対向車線に進入して先行車を追い越すに当たり、対向車の有無及びこれとの間隔等に注意し、対向車線の安全を確認すべき注意義務があるにかかわらず、酔余これを怠り、林車が至近距離に対向進行してきていたのを看過して、漫然先行車を追い越すためセンターラインを踰越した過失により本件事故を発生させたことは、原告と同被告との間に争いがないから、同被告は民法第七〇九条の規定に基づき、亡博重及び原告らが本件事故により被つた損害(人的損害及び物的損害)を賠償すべき責任があるものというべきである。

(被告会社の責任)

三 被告会社が、水津車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であることは、原告らと同被告との間に争いがないから、同被告は、自賠法第三条の規定に基づき、本件事故により亡博重及び原告らの被つた人的損害を賠償すべき責任があるものというべく、更に、原告らと被告会社との関係において、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推定すべき甲第一二、第一三号証及び郵便官署作成部分については、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正に成立したものと推定すべく、その余の部分については弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二一号証の一、二並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告水津は、本件事故当時、鈑金工として被告会社に勤務し、同被告の従業員八名のうち職長をしていたものであり、被告会社の通勤には、同被告の社長及び専務の承諾を得て、業務用の水津車を使用していたこと及び本件事故は、被告水津が、本件事故前日の昭和四四年七月三一日午後七時過頃、被告会社の勤務を終えて同僚三名とともに飲酒し、同日午後八時半頃被告会社を出て皆生方面へドライブした後、帰宅する途中で発生したものであること、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はなく、右事実関係に徴すれば、本件事故は、被告会社の被用者である被告水津が、被告会社の事業を執行するにつき惹起したものと認めるを相当とし、本件事故が被告水津の前項で判示した過失により発生したことは、原告らと被告会社との間に争いがないから、被告会社は、民法第七一五条第一項の規定に基づき、本件事故により亡博重の被つた物的損害を賠償すべき責任があるものというべきである。

(被告日出夫の責任の有無について)

四 被告日出夫が、矢倉車を所有していたことは、原告らと同被告との間に争いがないから、同被告は同車を自己のため運行の用に供していた者と推認しうべきところ、同被告は、自賠法第三条ただし書に規定する免責事由がある旨主張するので、この点につき、以下審究することとする。

第一項において確定した事実に、原告らと被告矢倉両名との関係において成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、第五号証ないし第一三号証(同第八、第九号証中の写真については、原告らと被告矢倉両名との関係において、原告ら主張のとおりの写真であることにつき争いがない。)及び丙第一号証並びに被告矢倉真二本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故現場は、鳥取方面から西米子方面に通ずる国道九号線をつなぐ日野川上に架設された新日野橋上であり、同橋は全長約二〇〇メートル、全幅員が約一四メートルで歩車道の区別があり、車道は、幅員が約一一メートルで中央に白線でセンターラインの標示があり、直線平坦で、路面はアスフアルト舗装され、最高速度の指定はなく、夜間は、橋上両側欄干外側に間隔をおいて設置された水銀燈が点燈するためその付近は明るいが、水銀燈と水銀燈の中間は、照明が及ばずやや見通しの悪い状況にあり、本件事故当時は、折柄の強い雨が小降りになつた頃で路面は濡れていたが、車両交通量は、西米子方面行車線及び鳥取方面車線とも絶え間ない状態であつたこと、しかして、被告水津は、水津車を運転し、時速約六〇キロメートル位の速度で走行して新日野橋上に差しかかり、約二〇メートル前方センターライン寄りを同方向に走行中の普通乗用自動車(以下「訴外車」という。)を追い越すため、センターラインに寄つて、その五、六メートル後方にまで接近し、酔余対向車はないものと軽信して、間をおかずに速度を時速約七〇キロに加速して訴外車の追い越しにかかり、水津車がほぼ完全に対向車線(西米子方面行車線)に進入してはじめて、同車線上前方約二〇メートルの地点に対向進行してくる林車を発見し、危険を感じて右足をアクセルペタルから離してブレーキペタルに掛けたが間に合わず、発見後約一〇メートル進行して、同車線車道側端から約二・八メートルの地点で水津車左前部を林車右前部に衝突させ(以下「第一次衝突」という。)、その衝撃で林車は、進行方向左側に約九〇度回転しながら若干押し戻されたこと、一方、被告真二は、矢倉車を運転し、車道側端から約二メートルの間隔をおいて、林車のほぼ真後を車間距離を約三〇メートルに保ち時速約五〇キロメートルで走行し、新日野橋上の本件事故現場手前に差しかかつたところ、一瞬、対向車である水津車の前照燈の明りが林車の陰に隠れる状態で見えなくなつたため、事故発生を直感し、危険を感じて直ちに急制動の措置をとるとともにハンドルを左に切つたが、路面が濡れていたため、直進状態のままスリツプしていつて矢倉車前部を前記の状態の林車左側面に衝突させ(以下「第二次衝突」という。)、同車を若干左側に回転させながら西米子方向に押し出すとともに、矢倉車は更に前進しながら右側に回転し、右先端が第二次衝突地点から二・三メートル西米子方向に寄り、左前側面が林車左前側面と接し、西米子方面行車線をほぼ塞ぐ状態で停止したものであり、現場には、林車の進行に沿つて、第一次衝突地点まで、同車左右前後輪のスリツプ痕(長さは、右前輪一二・七メートル、左前輪一二・八メートル、右後輪一〇・七メートル、左後輪三・八メートルであつて、いずれも道路と平行に、同じ側の前輪スリツプ痕の右側に後輪スリツプ痕が接する状態で残されており、最もセンターライン寄りである右後輪のスリツプ痕は、車道側端から三・〇五メートルの位置にある。)及び矢倉車の進行に沿つて、同車の停止地点に至る同車右前後輪のスリツプ痕又はタイヤ痕(長さは、右前輪は、九・二メートルで、林車右後輪のスリツプ痕のほぼ中間付近のセンターライン寄り地点付近で始まり、第二次衝突地点でやや右側に折れて、停止した矢倉車右前輪に達しており、内第二次衝突地点からの長さは二・三メートルであり、右後輪は、三メートルで、林車右前輪のスリツプ痕の末端付近で始まり、左にわん曲して停止した矢倉車の右後輪に達している。)が残つたが、水津車のスリツプ痕はなかつたこと、以上の事実を認めることができ、被告真二本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし、たやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

上叙認定した事実関係によれば、被告真二が、水津車のセンターライン踰越による第一次衝突を予見することは到底不可能であつたことは明らかであり、当時の交通状況、林車及び矢倉車の走行速度からすれば、路面状況等を考慮しても、被告真二が保持していた林車との前記車間距離は適切であるものと認めるのが相当であり、被告真二は水津車の前照燈の明りが林車の陰に隠れるのを見て第一次衝突を直感し、直ちに急制動の措置をとつたものであるから、同被告には前方不注視の過失はなく、第一次衝突への対応措置も適切であつたものというべきであり、叙上認定の水津車のセンターライン踰越の態様及び踰越時における林車との間隔等から容易に推認しうる第一次衝突の瞬時性並びに正面衝突という第一次衝突の態様に前記矢倉車の走行状況及び被告真二の第一次衝突への対応措置等に徴すれば、被告真二が第二次衝突を回避することは、到底不可能であつたものと認めるのが相当であつて、被告真二には本件事故発生につき何らの過失もなかつたものというべきである。

しかして、本件事故が、被告水津の対向車線に対する安全不確認の過失により発生したことは、原告と被告日出夫との間に争いがなく、前記認定に係る本件事故の態様等に弁論の全趣旨を総合すれば、被告日出夫は、矢倉車の運行に関し注意を怠つておらず、また、本件事故に関し、矢倉車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことは明らかであるから、被告日出夫には自賠法第三条ただし書の免責事由があるものというべく、したがつて、被告日出夫には、本件事故による亡博重及び原告らの人的損害を賠償すべき義務はないものといわざるをえない。更に、被告真二に本件事故発生につき過失が認められないことは、前段説示のとおりであるから、その余の点を判断するまでもなく、被告日出夫には、本件事故による亡博重の物的損害についても、これを賠償すべき義務はないものというほかはない。

(被告真二の責任の有無について)

五 本件事故につき、被告真二に過失があつたものとは到底認めることができないことは、前項で判示したところから明らかであるから、被告真二には本件事故による亡博重及び原告らの損害(人的損害及び物的損害)を賠償すべき義務はない。

(原告らの身分関係及び亡博重の相続関係)

六 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推定すべき甲第一〇号証並びに証人林満茂の証言及び原告惠子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告惠子は、亡博重の妻、原告宏光及び原告繁はいずれも同人の子であり、他に同人の相続人は存せず、右原告三名は、亡博重が本件事故により被つた損害の賠償請求権を法定相続分に従つて各三分の一ずつ相続したこと及び原告ヨシノは、亡博重の実母であること、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(原告惠子の傷害の部位、程度等)

七 前掲甲第一〇号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推定すべき甲第一一号証並びに原告惠子本人尋問の結果並びにこれにより成立の認められる甲第一八号証の一ないし三、同号証の五ないし九、同号証の一五及び同本人尋問の結果により原告ら主張のとおりの写真であることが認められる甲第一八号証の一三並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告惠子(昭和一五年一月一九日生まれ)は、本件事故により、顔面多発性(右頬、上口唇、下口唇、鼻根部)挫創、頸部、左手、左下腿、右鎖骨部、右肩各挫創、第六、第七胸椎圧迫骨折等の傷害を受け、昭和四四年八月一日(本件事故当日)から同月一五日まで(一五日間)高島病院に入院し、一旦同病院を退院後、同月二九日津和野共存病院への通院を経て、同年九月三日から同月一七日まで(一五日間)同病院に入院して、前記傷害の治療を受けた結果、同病院を退院する頃には、顔面醜状瘢痕、口唇部及び右眼瞼瘢痕拘縮を残して外傷はほぼ治癒し、骨折部位も同年一〇月中旬には快癒するに至つたこと、しかして、同原告は、右醜状瘢痕等の治療のため、同年一一月二四日から慈恵医大病院に通院して経過観察を受けたうえ、昭和四五年五月三日から同年六月二六日まで(ただし、同年五月七日から同年六月一四日までは都合により入院を中断したため、入院日数は一六日である。)同病院に入院して前記瘢痕及び瘢痕拘縮部位の形成手術を受け、その後昭和四六年三月三〇日まで同病院に通院して経過観察を受けた結果(同病院への通院実日数は通算して一五日である。)、右口角部閉塞不全、顔面多発性醜状瘢痕、下口唇、右外眼瞼部、右外眥部各瘢痕拘縮及び眉毛に縦走する瘢痕を残して右同日症状が固定したものと診断され、右後遺障害は、責任保険において、自賠法施行令別表第七級第一二号に該当する旨の認定を受けたものであるが、顔面の醜状瘢痕は、なお再形成手術を要する状態にあり、この手術は、毎年一回の割合で何度かに分けて実施することになるところ、現在は、未だ実施していないこと、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(原告宏光の傷害の部位、程度等)

八 前掲甲第一〇号証及び原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一七号証の一ないし四を総合すれば、原告宏光は、本件事故により頭部打撲傷及び胸部挫傷の傷害を受け、昭和四四年八月一日(本件事故当日)から同年八月四日まで実日数で二日高島病院に通院し、同月五日から同月一五日まで(一一日間)同病院に入院して治療を受けた結果、津和野共存病院において診察を受けた同月二九日頃までに前記傷害が治癒したことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(原告繁の傷害の部位、程度等)

九 前掲甲第一〇号証並びに原告惠子本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第一九号証の一、二及び同号証の一一を総合すれば、原告繁(昭和四一年一一月二四日生まれ)は、本件事故により、顔面(上口唇、両頬等)挫創、下顎開放骨折、頭部打撲、左手挫創等の傷害を受け、昭和四四年八月一日(本件事故当日)から同月一五日まで(一五日間)高島病院に入院して外傷の治療を受け、その後同年一一月二四日から昭和四六年三月三〇日まで実日数で四日慈恵医大病院に通院した結果、顔面醜状瘢痕、右口角部瘢痕拘縮、前胸部(喉部)ケロイド状瘢痕、下顎左第一、第二切歯及び犬歯欠損を残して右同日症状が固定した旨の診断を受け、顔面等瘢痕の後遺障害は、責任保険において自賠法施行令別表第一四級第一〇号に該当する旨の認定を受けたものであるが、右後遺障害は、形成手術を何回かに分けて要する状態にあるところ、幼少のため、未だ実施していないことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(亡博重の損害及びその相続)

一〇 本件事故により亡博重が被つた損害等につき、以下判断することとする。

1  前掲甲第一〇号証及び弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一六号証の二並びに原告惠子本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第一六号証の六の一、二並びに弁論の全趣旨を総合すれば、亡博重は、本件事故当時三七歳(昭和七年七月一五日生まれ)の健康な男子であり、株式会社西武百貨店に勤務して家庭電器関係の営業を担当しており、近い将来、同会社の新設予定の子会社に役付きで出向する予定になつていたものであつて、本件事故の前年である昭和四三年一年間に金一三二万四、〇四二円、また、昭和四四年には本件事故当日に死亡退職するまでの間に金八五万二、六五六円の収入を得ており、毎年四月に一割ないし一割五分の定期昇給を受けていたものであることを認めることができ(右認定を覆すに足る証拠はない。)、右事実によれば、亡博重は、本件事故に遭わなければ、昭和四四年一年間に金一四四万円(月額金一二万円)を下らない収入を得ることができたものと推認するを相当とし、昭和四五年以降の一般の所得金額の増加は著しいものがあつたことは当裁判所に顕著な事実であるから、口頭弁論終結に至るまでに確認しうべき叙上の事実を逸失利益を算定するに当たり斟酌するを相当というべきところ、当裁判所に顕著な労働大臣官房統計情報部編賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表(昭和四四年度は第三表、昭和四五年度ないし昭和四八年度いずれも第二表)によれば、産業計・企業規模計・学歴計・全年齢男子労働者の平均年収額の昭和四五年から昭和五〇年までの対前年増加率は、昭和四五年一九パーセント、昭和四六年及び昭和四七年がいずれも一四パーセント、昭和四八年二〇パーセント、昭和四九年二五パーセント、昭和五〇年一五パーセントであること、なお、賃金労働者においては、一般に五五歳以降資金が逓減傾向にあること、以上の事実を認めることができる。

しかして、経験則に照らせば、亡博重は、本件事故に遭わなければ、事故後六七歳に達した年まで三〇年間にわたり稼働しえたものと推認することができるから、上叙の事実を総合勘案すれば、同人は、本件事故がなければ、昭和四四年には金五八万七、三四四円(同年に得べかりし年収益金一四四万円から死亡時までに受領した金八五万二、六五六円を控除した額)、昭和四五年には金一七一万三、六〇〇円(対前年比一九パーセント増。以下、括弧内は対前年比増加率を示す。)、昭和四六年には金一九五万三、五〇四円(一四パーセント)、昭和四七年には金二二二万六、九九四円(一四パーセント)、昭和四八年には金二六七万二、三九二円(二〇パーセント)、昭和四九年には金三三四万四九〇円(二五パーセント)、昭和五〇年には金三八四万一、五六三円(一五パーセント)、昭和五一年から昭和六一年までは毎年昭和五〇年の年収額と同額である金三八四万一、五六三円、五五歳に達する昭和六二年から昭和七四年までは毎年右年収額の七割に当たる金二六八万九、〇九四円を下らない収入を得ることができたものと推認するのが相当であり、原告の右年収額及び家族構成に照らせば、右稼働期間において収入より控除すべき亡博重の生活費は収入の三〇パーセントを上回らないものと推認するを相当とするから、右各年の年収額(ただし、昭和四四年は得べかりし年収残額)からその三〇パーセント相当額を控除し、以上を基礎として、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して亡博重の得べかりし利益の本件事故時における現価を算定すると、原告ら主張の金一、九六五万四、八〇〇円を下らないことは明らかである。しかして、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、それぞれ前示法定相続分に応じて各金六五五万一、六〇〇円あて亡博重の右逸失利益の賠償請求権を相続したことになる。

2  亡博重が本件事故で一命を失つたことにより多大な精神的苦痛を被つたことは、以上のところから明らかであるところ、同人の死亡時の年齢、家族構成、本件事故の態様その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を考慮すれば、同人の右苦痛に対する慰藉料は金六〇〇万円と認めるを相当とする。しかして、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、それぞれ前示法定相続分に応じて、各金二〇〇万円あて亡博重の右慰藉料請求権を相続したことになる。

3  その方式及び趣旨により公務員がその職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推定すべき甲第六号証及び証人林満茂の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、林車は、ダツトサンブルーバード四一年型であり、亡博重は、昭和四三年一二月一八日頃、これを西部日産自動車販売株式会社から、代金二一万円、割賦払で代金完済まで所有権留保付の約定で中古車として購入、使用していたものであるところ、本件事故により前部中央、左前部、左側面等車全体が修理不能な程度に大破し、使用不能となり、このため、本件事故後、亡博重の弟林満茂は、割賦残代金五万七、〇〇〇円を同会社に立替払して代金を完済したうえで、同会社を通じて林車を廃棄処分としたこと、及び本件事故当時、林車の時価は、前記代金額の半額(金一〇万五、〇〇〇円)を下らなかつたこと、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

上叙事実によれば、亡博重は、自己所有の林車の全損により、少なくとも金一〇万五、〇〇〇円の損害を被つたものと認めることができ、しかして、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、それぞれ前示法定相続分に応じて、各金三万五、〇〇〇円あて、亡博重の林車の全損による損害賠償請求権を相続したことになる。

4  以上判示したところによれば、原告惠子、原告宏光及び原告繁は、被告会社及び被告水津の各自に対し、各金八五八万六、六〇〇円(前記1ないし3の合計額)ずつ、亡博重の損害賠償請求権を取得したこととなる。

(原告ヨシノの損害)

一一 本件事故により原告ヨシノが被つた損害につき、以下判断することとする。

1  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推定すべき甲第一六号証の四及び原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一六号証の五並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告ヨシノは、亡博重の葬儀を執り行い、その費用として金二〇万円を下らない金員を支出し、同額の損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  前掲甲第一六号証の二及び原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一六号証の三並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告ヨシノは、本件事故により即死した亡博重の検死等医療処理費用として、高島病院に対し、金七、八一二円を支払い、同額の損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

3  原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一七号証の六及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告ヨシノは、原告惠子、原告宏光及び原告繁が高島病院へ入院していた期間中、雑貨等入院に伴う諸雑費として金六、二六一円を支出し、同額の損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

4  原告ヨシノが亡博重の死亡により多大な精神的苦痛を被つたことは、証人林満茂の証言から容易に推認しうるところ、原告ヨシノと亡博重との身分関係、同原告は亡博重の結婚後同人と別居していたが、同人は同原告に対し毎月小遣をやるなどして孝行を尽くしていたこと(この事実は、原告惠子本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合して、認めることができる。)、その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を考慮すれば、原告ヨシノの前記苦痛に対する慰藉料としては、金五〇万円が相当である。

5  以上によれば、原告ヨシノは、本件事故により1ないし4の損害額合計金七一万四、〇七三円の損害を被つたことになる。

なお、同原告は、以上のほか、交通費金六万七、四九〇円を支出し、同額の損害を被つた旨主張するけれども、この事実を認めるに足る証拠はないから、右主張は失当である。

(原告惠子の損害)

一二 本件事故により原告惠子が被つた損害につき、以下判断することとする。

1  前掲甲第一八号証の五、六及び同号証の八、九並びに原告惠子本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第一八号証の四を総合すれば、原告惠子は、前記傷害の治療費、診断書料等として、高島病院に対し金五万六、八一〇円、津和野共存病院に対し金三万九、〇〇〇円を各下らない額を、また、慈恵医大病院に対し金一三万七、八四一円を支払い、以上合計金二三万三、六五一円の損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  原告惠子本人尋問の結果並びにこれにより成立の認められる甲第一七号証の七、八、第一八号証の一二及び第一九号証の八並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告惠子は、高島病院入院中の昭和四四年八月三日から同月八日まで家政婦石野アグによる付添看護を受け、その看護料金として金七、三〇〇円を支払つたほか、原告惠子、原告宏光及び原告繁の同病院への入院期間中一五日間を通じて、原告惠子の母出本清子及び兄弟である出本晃一、出本進らが交代で右原告三名の付添看護に当たつたことを認めることができ、右出本三名の付添看護料は平均して一日当り金一、〇〇〇円を下らないものと評価するを相当とするから、一五日間合計金一万五、〇〇〇円となるところ、右付添看護料もまた、原告惠子が負担したことは弁論の全趣旨に照らし明らかであるから、原告惠子は、家政婦及び近親者による付添看護料として、その請求する金一万二、〇〇〇円を下らない損害を被つたものということができる。

3  原告惠子が、本件事故により前記の傷害を受けてその治療のため前記入、通院を余儀なくされ、更に、前記の後遺障害が残つたことにより、多大な肉体的、精神的苦痛を被つたことは、以上のところから明らかであり、同原告の年齢、傷害の部位、程度、入、通院期間、後遺障害の内容その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を考慮すれば、同原告の前記苦痛に対する慰藉料としては、金二〇〇万円が相当である。

(原告宏光の損害)

一三 本件事故により原告宏光の被つた損害につき、以下判断することとする。

1  前掲甲第一七号証の二及び四並びに原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一七号証の五を総合すれば、原告宏光は、前記傷害の治療費として、高島病院に対し金一万九、〇〇九円、津和野共存病院に対し金一、二〇四円の支払を要し、以上合計金二万二一三円の損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  原告宏光が前記受傷及びその治療のため入、通院を余儀なくされたため、肉体的、精神的苦痛を被つたことは、以上のところから明らかであり、傷害の部位、程度、入、通院期間その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を考慮すれば、同原告の前記苦痛に対する慰藉料としては、金七万円が相当である。

(原告繁の損害)

一四 本件事故により原告繁の被つた損害につき、以下判断することとする。

1  原告惠子本人尋問の結果により成立の認められる甲第一九号証の四、五及び同号証の七を総合すれば、原告繁は、前記傷害の治療、後遺障害の診察料等として、高島病院に対し金三万五、二一四円、慈恵医大病院に対し金三、五七五円の支払を要し、同原告の主張する金三万八、四八九円を下らない損害を被つたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  原告繁が本件事故により前記の傷害を受け、その治療のため前記入、通院を余儀なくされ、更に、前記の後遺障害が残つたことにより、多大な肉体的、精神的苦痛を被つたことは、以上のところから明らかであり、同原告の年齢、傷害の部位、程度、入、通院期間、後遺障害の内容等本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を考慮すれば、同原告の前記苦痛に対する慰藉料としては、金四〇万円が相当である。

(損害のてん補及び弁護士費用)

一五 以上によれば、被告会社及び被告水津の各自に対し、請求しうる損害額(弁護士費用を除く。)は、原告ヨシノが金七一万四、〇七三円、原告惠子が金一、〇八三万二、二五一円、原告宏光が金八六七万六、八一三円、原告繁が金九〇二万五、〇八九円となるところ、本件事故に関し、原告惠子が責任保険から金四五〇万円、被告水津から金九一万八、〇〇〇円の合計金五四一万八、〇〇〇円、原告宏光が責任保険から金二〇〇万円、原告繁が責任保険から金二二二万円の支払を受けたことは、右各原告の自認するところであるから、これを前記損害額から控除すると、右原告三名の前記損害残額は、原告惠子が金五四一万四、二五一円、原告宏光が金六六七万六、八一三円、原告繁が金六八〇万五、〇八九円となる。

しかして、弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告会社及び被告水津が前記のほか賠償金の任意支払に応じないため、やむなく本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任し、着手金及び謝金の支払を約したことを認めることができ、本件事案の内容、審理経過及び認容額等にかんがみると、弁護士費用としては、原告ヨシノにつき金一〇万円、原告惠子、原告宏光及び原告繁につき各金二五万円をもつて本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。

したがつて、原告らが、被告会社及び被告水津の各自に対し、請求しうる損害合計額は、前記弁護士費用を除いた金額に右弁護士費用を加えた額、すなわち原告ヨシノが金八一万四、〇七三円、原告惠子が金五六六万四、二五一円、原告宏光が金六九二万六、八一三円、原告繁が金七〇五万五、〇八九円となる。

(被告水津の消滅時効の主張について)

一六 被告水津は、原告らの同被告に対する損害賠償債権が時効により消滅した旨主張し、これに対して原告らは、時効の中断を主張するので、以下この点につき判断するに、原告らが被告水津に対し本訴を提起したのが本件事故発生の日から三年を経過した後の昭和四八年一月二九日であることは、本件記録上明らかであるところ、郵便官署作成部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推認すべく、その余の記載部分については弁論の全趣旨によりその成立が認められる甲第一四号証の一、二によれば、原告らは、林満茂を代理人として、被告水津に対し、本件事故発生の日の翌日から三年を経過する以前の昭和四七年七月二九日到達の内容証明郵便をもつて亡博重の死亡による損害につき、その賠償を求める催告をしたことを認めることができ、原告らが右催告後六か月を経過する以前に被告水津に対し本訴を提起したものであることは前記のとおりであるから、亡博重の死亡による損害の賠償債権については、その余の点を判断するまでもなく、催告及びこれに続く裁判上の請求により消滅時効は中断されたものというべきであり、更に、原告惠子本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第二〇号証の一、二並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告水津は、昭和四六年一一月三日付、同月四日差出でその後数日内に原告惠子のもとへ到達した同原告あての手紙において、本件事故を発生させたことを謝罪し、一日も早く社会復帰して少しでも多くの賠償金を支払いたい旨の意思を示したことを認めることができ、右事実に弁論の全趣旨を総合すれば、被告水津は、原告ヨシノ、原告惠子並びに同原告を法定代理人とする原告宏光及び原告繁に対し、右原告らが本件事故により被つた損害についても自己の賠償債務を承認したものと認めるのが相当というべきところ、右承認が本件事故発生の日から三年を経過する以前にされたことは前記認定の事実から明らかであり、しかして、右原告三名が右承認後三年を経過する以前に本訴を提起したものであることは前記のとおりであるから、右原告三名の損害賠償債権についてもまた、その余の点を判断するまでもなく、消滅時効が中断されたものということができる。してみれば、被告水津の消滅時効の主張は、理由がないものというほかはない。

(被告会社の消滅時効の主張について)

一七 被告会社は、原告らの被告会社に対する損害賠償債権が時効により消滅した旨主張し、これに対して原告らは、時効の中断を主張するので、以下この点につき判断するに、原告らが被告会社に対し本訴を提起したのが本件事故発生の日から三年を経過した後の昭和四八年一月二九日であることは、本件記録上明らかであるところ、郵便官署作成部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推認すべく、その余の記載部分については弁論の全趣旨によりその成立が認められる甲第一五号証の一、二によれば、原告らは、林満茂を代理人として、被告会社に対し、本件事故発生の日の翌日から三年を経過する以前の昭和四七年八月一日到達の内容証明郵便をもつて亡博重の死亡による損害につき、その賠償を求める催告をしたことを認めることができるところ、原告惠子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨並びに後段認定の被告会社が原告惠子へ差し出した書簡内容に徴すると、原告惠子は、亡博重の損害だけでなく、自己及び原告宏光と原告繁並びに原告ヨシノが本件事故により被つた損害についても被告会社に対し再三再四にわたり請求していた事情が認められ、右事情のもとにおいては、上記催告は、単に亡博重の死亡による損害のみならず、原告ヨシノ、原告惠子、同宏光及び同繁が本件事故により被つた損害をも含めて催告した趣旨に解するのを相当とし、原告らが右催告後六か月を経過する以前に被告会社に対し本訴を提起したものであることは前記のとおりであるから、亡博重の死亡による損害及び原告らの損害の賠償債権については、その余の点を判断するまでもなく、催告及びこれに続く裁判上の請求により消滅時効が中断されたものというべきである。加わるに、郵便官署作成部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めることができるから真正な公文書と推認すべく、その余の記載部分については弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二一号証の一ないし四及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告会社は、昭和四五年四月一三日付、同月一四日差出及び同年六月八日差出でいずれも右差出日後数日内に原告惠子(原告宏光及び原告繁の法定代理人)のもとへ到達した原告惠子あての手紙において、自社の従業員被告水津がその過失により本件事故を発生させたことを深く詑びると共に、自社の資産、経理内容等経営状況を詳しく述べて、年賦でできる限り多くの賠償金を送金したい旨の意思を示したことを認めることができ、右事実に弁論の全趣旨を総合すれば、被告会社は、原告ヨシノ並びに原告惠子並びに同原告を法定代理人とする原告宏光及び原告繁に対し、右原告らが本件事故により被つた損害についても自己の賠償債務を承認したものと認めるのが相当というべきところ、右承認が本件事故発生の日の翌日から三年を経過する以前にされたことは前記認定の事実から明らかであり、しかして、右原告らが右承認後三年を経過する以前に本訴を提起したものであることは前記のとおりであるから、この点からみても、原告らの被告会社に対する損害賠償債権は、その余の点を判断するまでもなく、消滅時効が中断されたものということができる。してみれば、被告会社の消滅時効の主張は、理由がないものというほかはない。

(むすび)

一八 以上の次第であるから、原告らの本訴請求中、被告会社及び被告水津に対する請求、すなわち、右被告両名各自に対し、原告ヨシノが前記認定の損害額の内金七八万円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告惠子が前記認定の損害額の内金五〇〇万円及びこれに対する右同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで右同率の割合による遅延損害金の、原告宏光が前記認定の損害額の内金三五〇万円及びこれに対する右同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで右同率の割合による遅延損害金の、また、原告繁が前記認定の損害額の内金四五〇万円及びこれに対する右同様の日である昭和四八年二月一〇日から支払済みに至るまで右同率の割合による遅延損害金の各支払を求める請求は、いずれも理由があるから、これを認容し、被告矢倉両名に対する請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九三条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないものとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)

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